2006年09月15日

[ネット観察]他人の関心を引くためには手段を選ばない奴は無視に限る

久方ぶりのブログである

ここのところ、ブログをサボってしまったが、サボっている間に、秋篠宮悠仁親王が誕生されたり、レバノンとイスラエルの戦争が取り敢ず終わったり、王子製紙が北越製紙のTOBを諦めたりと、色々事件が起きたのだが、なかなかブログを書く気が起きなかった。そういえば、毎度おなじみの某プログもここ最近は読む人を不愉快にさせるような記事を連発させている。

亀田興毅選手の俺様発言は計算ずく

以前、とあるボクシングの試合が国民的最大関心事となったことがあった。それが、亀田興毅とランダエタの対戦である。この試合に於いて、八百長疑惑が出たとき、普段からボクシングに関心がある人は疎か、ボクシングに全く関心のない人まで巻き込んで、大いに話題になった。
しかも、亀田興毅選手は挑発とも開き直りとも取れる発言をし、世間の耳目を大いに集めた。こういう手の広告手法(エモーショナル広告)は短期的には絶大な効果があることはよく知られている。ファッションブランドにベネトンというのがあるのだが、このベネトンの広告手法はグロテスクなイメージを多用した露悪趣味的なもので、そのお陰で有名になった。今、公判中の堀江貴文氏も世間をアッと騒がせるような事件を次々と巻き起こすことで、ライブドア及びホリエモン(堀江貴文氏)を単なる学生企業家から著名人にのし上がった。また、政治の世界では小泉内閣がこうした広告戦略を多用し、今まで政治に無関心だった国民達をあらゆる形で政治の世界に取り込んだのは論を待たない(その最たるものが昨年9月11日の総選挙である)。
つまり、亀田ファミリーの一見傲岸不遜に見える態度や、ベネトンの露悪趣味広告、堀江貴文氏のM&A戦略、小泉内閣の政治 etc…これらは全て、大衆の関心を煽り、そして、それに対する反感をも含んだ形で世間に認められるべくして認められることになった。広告戦略で大事なのは、世間に好かれることではない。世間に関心を持って貰うことである。そのためには、善悪・正邪お構いなく、インパクトで勝負するのに限る。

かにれいる事件の本質は仁義無き戦いである

嘗て、架空鉄道界で、一大センセーショナルな騒動があった。あのかにれいる氏に関する騒動である。かにれいる氏が架空鉄道界から撤退して早3年が経とうとしている。
かにれいる氏が何者か知らない人もいるので、簡単に紹介しておくと、アニメやギャルゲーと鉄道・バスが好きな典型的なアニ鉄ヲタであるが、同時にネット右翼でもあった。かにれいる氏の架空鉄道「かにさん緑美原鉄道」はコンセプトが何でもごちゃ混ぜというもので、現実の事件からアニメネタまでとにかく渾然一体に整理されずに作られたものであった。
かにれいる氏の問題点はその何でもごちゃ混ぜ精神によるもの(実在の事件をネタにした「プレスリリース」)と病的なネット右翼によるもの(架空鉄道という鉄道趣味の一分野に過ぎないところのコミュニティの掲示板にブルーリボン運動への呼びかけを行う)及びその他執拗なまでの宣伝活動を行って、周囲の反感を買い続けたことである。
そのため、megabbsにてかにれいる氏を糾弾するスレッドが立ち始め、最初のうちは観察及び批評に止まったが、やがて、かにれいる氏がBBSに出現したことに託けてかにれいる氏への反論という形を以ってかにれいる氏と共同する形でBBS荒らしを行ったり、果ては、かにれいる氏を騙ってBBS荒らしを行うなど、一体どちらに正義があるのかが分からなくなるような仁義無き戦いが行われた。
私はこうした状況を見て、実に嘆かわしく感じた。また、かにれいる氏も長年に亘って叩かれ続けたことにより、広告効果があるとして、相変わらずの行動をとり続ける選択をしたことを踏まえ、私は、かにれいる氏憎しの空気に包まれたmegabbs住人に対し、黙殺を勧めた。だが、憎悪と怒りの感情に包まれた彼らにとって、それは「弱気」と捉えられ、私の提案は見事に粉砕された。
やがて、かにれいる氏は鉄道板重鎮固定ハンドルだった人からの内容証明郵便を受け取り、架空鉄道の世界からは撤退した。
孫子の兵法では「城を攻めるは下策」と言われているが、只悪戯に感情に流された「かにれいる被害者」のやり方はまさに、大軍を駆って城を攻め落とすようなやり方であった。
尚、かにれいる氏は架空鉄道界を「追放」された負のエネルギーを蓬莱学園に向け続け、かにれいる氏が鉄道趣味界から叩き出された後も、不定期に蓬莱学園関連のサイトで暴れているのを何度か確認している。これも過激なやり方で架空鉄道界を追放されたことが一つの原因となっていると、私は考えている。

過激な記事が続く毎度おなじみの某プログ

さて、話は毎度おなじみの某プログに移すと、以前、村正氏が昨年の11月に「特一シカト大作戦」なる提案を行っていた。今の状況を鑑みるに、最近書かれた記事だとしても違和感がない。尚、当時私は日和見主義的立場をとっていた(参照)。
しかし、私自身を含む昨今の状況からして、例え、「アニメ・おもちゃ・カメラ等が趣味な日常のプログです。よろしく!」と称しつつ、それにそぐわない記事が連発しているとはいえ、ツッコミ・解説等を入れることは今後、控えたいと思う。また、牛島えっさい氏及びニセアクロバンチ事件の落札者の動きも考えると、下手にちょっかいを掛けるのは止めた方が良いかも知れない。
また、この毎度おなじみの某プログを書いている人もまた、2ちゃんねるネットwatch板等で批評され続けている状況をよく理解できているらしく、挑発するような記事は今後も続くと思われる。ここまで来ると、一種のエモーショナル広告である。

黙殺に勝る罵倒なし

こうしたエモーショナル広告は屡々、反感を買われることさえも、広告の効果として受け取られている。つまり、反感を買った人間さえ取り込んでしまうものである。そこがエモーショナル広告の恐ろしさである。
もし、エモーショナル広告を打ち出すような所を本気で潰したいのなら、そういうエモーショナル広告の送り手を完全無視するしかない。何故なら、エモーショナル広告は反感を買われることすら広告戦略として折り込まれているからである。
開高健氏曰く、黙殺は最大の罵倒である。挑発する相手に感情を露わにしたりするのは、屡々、その相手のペースに嵌ることを意味することを忘れないで貰いたい。
posted by 須藤雅史@多摩急行電鉄 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ネットワーカー観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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