2006年10月30日

[政治]憲法を無視した無制限な軍拡の跫音

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所感

平和的生存権を謳っている憲法のある国において、軍事力を見せ付けるのは如何にも矛盾撞着である
個人的には、今の日本の憲法は変えるべきだと考えているし、今の時代、国際紛争があったとき、各国が軍事力を拠出して事後処理に当たるのは常識となっている。しかし、いきなり防衛庁を「省」に格上げというのは戴けない。尤も、国際的に自衛隊の戦力は高く評価されていることを考えると、「省」への格上げは納得のいく面もあるが、形骸化したとはいえ、平和的生存権を人権と認めた憲法がある限り、名実ともに強大な軍事力の存在を示す、防衛庁の「省」への格上げには反対する。これは、日本国憲法の素晴らしさを知っている人々への冒涜でしかないからである。
防衛庁の「省」への格上げをする前に憲法を変えろ
前述のように、今の国際社会において、先進国と称される国々においては軍事力に裏打ちされた平和活動というのが常識となっている。日本はそれが常識であるのに関わらず、「平和憲法」を理由に軍事力拠出を拒んできた過去がある(尤も、先のイラク派兵は憲法違反であることは間違いないが)。これを例えるのなら、サッカーの試合をしようと誘われているのに、自分は運動が苦手だからやりたくないと無碍に断っているようなものである。こんなことを繰り返されては、誘った側の面子が丸潰れであり、また、いじめの原因ともなりうる。
今、国際社会が日本に求められているのは、暴走しかねない中国に対する押さえとしての役割のようである。そういう意味からして、日本が憲法を変えて、「普通の国」に生まれ変わることを国際社会が要請しているのである。しかし、今の憲法を変える前に軍事力保有を見せ付けるのは、如何にも矛盾撞着である。
防衛庁の「省」格上げの前に、まず、憲法を変えるべきではなかろうか。
posted by 須藤雅史@多摩急行電鉄 at 13:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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