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いじめの報道が頻発する
福岡のいじめ自殺の事件以後、いじめに関する報道が後を絶たない状態である。個別の事件についてコメントするにしても、教育現場が教育基本法の基本理念を全く遵守していないだとか、福岡の事件のコメントの繰り返しばかりになるので、敢えてスルーしていたが、今回の事件では看過できない問題が新たに出たので、コメントする。真面目だから虐めたいとは如何に
今回は岐阜県瑞浪市の中学で起きた事件である。こちらもまた、中学校でのいじめが原因で自殺したというものであるが、学校はその実態はきちんと把握できないでいた。今回は学校の責任に関して論じるつもりはないので(論じたところで以前の繰り返しになる)、これについては割愛する。問題は、虐められる原因が真面目だからという理不尽極まりない理由にある。戦後、日本は敗戦のショックからただでさえ低い自尊心を更に低める教育を施していた。その結果、日本人は努力とか真面目さとかを軽視或いは蔑視するようになり、「個性的」の美名の下享楽的で刹那的な快楽を追求するだけの「黄色い豚」に成り下がった。真面目だから虐めたいという凡そ理不尽な理由を導き出すには、今の教育の堕落を論じることは避けて通れない。
つまり、教育基本法の趣旨にある本当の意味での個性の尊重ではなく、個性の尊重を隠れ蓑にした無責任人間を養成する教育のあり方がこのような理不尽な理由のいじめを誘発したものと考えられる。
低俗番組のせいにするのも一種の責任逃れ
このようないじめによる自殺の事件の報道が増え、一部では、低俗バラエティ番組に対する批判も強まっているが、私はそのような批判は筋違いであると考えている。前述のように、いじめの原因は教育課程の中にある。TV番組からの影響でのいじめ誘発を訴える人達はメディアに責任を被せて、自分たちはその埒外であることを主張し、責任逃れをしていることに他ならない。そのような連中が他人の責任を勇ましく追及するのは如何にも矛盾撞着である。蓋し、深刻化するいじめはマスメディアの影響ではなく、プライドを卑しめる今の教育に原因に追求するべきだろう。




