2006年11月03日

[アイスピック]祝!500スレ

ネットwatch板にて続いているスレッドが遂に500スレに

久しぶりのdexiosu森本浩司氏の記事である。以前、黙殺するべしという趣旨の記事を書いた関係で、「アンテナ」と称したトンデモニュース解説記事へのツッコミ等を控えたのだが、前人未踏の500個目のスレッドが達成されたようなので(マスコミで有名なきっこ氏ですら、スレッドの数が50には達していない)、若干取り上げる。

訴訟法の勉強を生かすときが来た

dexiosu森本浩司氏は専修大学法学部中退を自称していたが、恐らく、何らかの形で基本六法は勉強していたのだろう(だからこそ、刑法230条の2から自分の発言を正当化したのだろう)。そして、今度は民事訴訟法或いは刑事訴訟法から、自分の都合の良い条文を探しているのだろう。まあ、無駄な努力かも知れないが。

刑法230条の2についての判例を調べてみた

dexiosu森本浩司氏のいう「公正な論評の法理」について、「有斐閣 判例六法」に掲載されている判例を元に見ていきたいと思う。
挙証責任の転換
まず、
本条によると、事実の真否が確定されてなかったときは被告人は不利益な判断を受けるという意味において、被告人は事実の証明に関して挙証責任を負うと言うことができる。
(東京高裁判決昭和28年2月21日高等裁判所刑事判例集6-4-367)
である。上記の「被告人」は名誉毀損で訴えられた者を指すのだが、刑法230条の2が適用されるには被告人の方で名誉毀損で訴えられた記事についての挙証責任を負うというものである。
つまり、dexiosu森本浩司氏の場合、牛島えっさい氏に関して記した諸々の記事についての挙証責任を負うことになる。これができなければ、まず、「公正な論評の法理」は成立しない。
事実の公共性
続いて、
本条1項にいう「公共の利害に関する事実」に当たるか否かは、摘示事実自体の内容・性質に照らし客観的に判断されるべきであり、摘示の際の表現方法や事実調査の程度などは同条の公益目的の有無の認定等に関して考慮されるべきである。
(最高裁判決昭和56年4月16日刑事判例集35-3-84<月刊ペン事件>、刑法判例百選II[5版]17)
である。
dexiosu森本浩司氏の場合、牛島えっさい氏が関わっているコミケなどのイベントについてあれこれ「摘示事実」を述べているが、その内容は牛島えっさい氏のそこでの行動ではなく、牛島えっさい氏の個人商店で取り扱っている品物が悪いということを根拠にしている。つまり、牽強付会であると解されて当然のものである。
更に、事実調査の程度も信憑性の薄い2ちゃんねるの書き込みの一部をソースにしている程度で、思い込みの領域を出ているものとは考えられない。
公益目的
ここでは適切な判例がなかったので、引用を控えるが、牛島えっさい氏の関わっているイベントや個人商店での取扱品目が民法90条違反(公序良俗違反)とは考えられない。例えば、dexiosu森本浩司氏は牛島えっさい氏の個人商店にて「ナチス」の「模造刀」を取り扱っていることを公序良俗違反であるとして主張しているが、日本において「ナチス」の「模造刀」が違法品目である旨を記した法律条文・判例は存在しない(私が知らないだけかもしれないが)。
これより、dexiosu森本浩司氏の主張が私人間の主張の衝突に過ぎず、これを「公益」と言うには無理がある。或いは、「公益」を主張して、牛島えっさい氏の私的行動を誣て公序良俗違反に仕立て、牛島えっさい氏に対する「強迫」を試みたことさえ考えられる。
真実性の証明
証明の対象
再び判例より、
真実性の立証は摘示事実のうち主要な部分につきなされれば足り、その余の付随的部分につき立証が尽くされなくても、免責される。(以下略)
(東京地裁判決昭和49年6月27日刑事裁判月報6-6-724)
である。
dexiosu森本浩司氏の場合、主要な部分が何処にあるのか曖昧であるが、仮に、牛島えっさい氏のイベントでの問題行動にあるとすれば、例えば、牛島えっさい氏の関わっているイベントにて、「強姦」が横行していることについての客観的証拠を示さなくてはいけない。また、牛島えっさい氏の個人商店で取り扱っている品目の違法性なら、何の法律の何処の条文或いは何処の判例からそれが証明できるかを示さなくてはいけない。少なくとも、村正氏の正体を調べたりすることは付随的部分への拘りでしかなく、dexiosu森本浩司氏が追及しようとしていることとは無関係である。
証明の程度
判例より、
真実性の証明は厳格な証明によって合理的疑いをいれない程度になさなければならない。
(東京地裁判決昭和49年11月5日判例時報785-116)
である。
前述でも触れたが、dexiosu森本浩司氏は信憑性の薄い2ちゃんねるの書き込みを証拠に挙げている。しかし、この証拠が本人による自作自演の疑いが強いことを考慮すると、「合理的疑いをいれない程度」とは言えない。
つまり、dexiosu森本浩司氏の発言には真実性がないと言える。
真実性の錯誤
仮に、真実性が証明できなくても、真実だと思い込んだことが実は嘘だったということもある。その時、誤信したことが確実な資料及び根拠によって証明できたのならば、違法性が阻却されるが(最高裁大法廷判決昭和44年6月25日刑事判例集23-7-975、刑事判例百選II[5版]18)、一方的な主張・要求など断片的で客観性のない場合は違法性が阻却されない(最高裁決定昭和46年10月22日刑事判例集25-7-838)。
dexiosu森本浩司氏の場合、真実性の錯誤についての主張はないが、論破された際に、これを理由に違法性の阻却を訴えかねないので、一応触れておくと、dexiosu森本浩司氏の牛島えっさい氏に対する発言は、自作自演の疑いの強い2ちゃんねるの書き込みや牛島えっさい氏の商業広告の内容(流石にこの内容自体は嘘ではないが)にしか基づいておらず、牛島えっさい氏に対する糾弾の体を成していない。よって、一方的な主張や要求を根拠にしていると見なされ、違法性は阻却されない。

そもそも「公共の利害」と言えるのか?

以上、刑法230条の2について判例を見てみたが、成立要件を全く満たしていないことが余りに明白である。そもそも、具体的なところに踏み込むと論点が一気にぼやけてしまう。これは、dexiosu森本浩司氏が主要な部分についての発言が論破される度に付随的部分に拘るという悪癖によるものである。そうなると、dexiosu森本浩司氏は自らの全ての発言について、真実性の証明を行わなくてはいけない。かなり骨の折れる作業になりそうだ。それも、合理的疑いをいれないくらいにしなくてはいけないから、大変である。まあ、可処分時間が豊富なdexiosu森本浩司氏だから、何とかなるだろうけど。
最後の真実性の錯誤が辛うじて成立かと思いきや、結局のところ、dexiosu森本浩司氏の思い込みありきでしかないのだから、錯誤でも何でもない。要は、dexiosu森本浩司氏は己の思い込みだけで無実の主張を行い、それを以って、牛島えっさい氏を社会的に抹殺しようと試みたに過ぎない。これを名誉毀損と言わずに何というのだろうか?

判例六法


刑法230条の2の実際の判例を調べるのに重宝した。
posted by 須藤雅史@多摩急行電鉄 at 16:19| Comment(0) | TrackBack(1) | ネットワーカー観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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