2006年11月08日

[小泉純一郎]政治家は全て消耗品である

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所感

確かに、有権者から見捨てられれば確かに政治家は続けられないが
政治家というのは任期の定まった職業であり、本来、終身雇用の仕事ではない。しかも、本人が幾ら政治家であることを望んでも、有権者がそれを一切認めなければ、政治家になることなど叶わない。そういう意味において「使い捨て」というのなら首肯できる。
人を大切にできない政治家は当然使い捨てにされる
しかし、小泉前首相の発言の真意はそんな意味よりも、使い捨てだから、任期中何をやっても構わないという無責任ささえ感じる。
確かに、無茶をやった政治家はどんどん切り捨てるべきだろう。
人を蔑ろにするIT世代の台頭を憂う
本来、日本人は人を大切にする文化を持っている筈である。しかし、毛唐かぶれのIT業界人みたいに、不必要な人なら何の躊躇なく切り捨てるという残酷な思想が蔓延している。小泉前首相など、政治家というより、そのようなIT業界人のような気がしてならない。こんなだから、ホリエモンや竹中平蔵氏とも意気投合できたのだろう。昔の政治家なら、到底考えも付かないことである。
人を大切にする政治家の登場を願いたい
昨今は、いじめとか教育のことであれこれ騒がれているが、学校教育の段階でも、人を大切にするという態度が全く見られない。学校教育の現場の荒廃の原因は小泉前首相のような人間を不倶戴天の敵とみなす左巻きばかりだが、彼らもまた、本質的には人を大切にしない考えの持ち主ばかりである。
教育基本法の趣旨は「個性の尊重」にあるが、これは人を大切にすることが大事であるということを意味する。いじめることも個性というのは例えれば殺人行為も個性だといっていることに相等しい。「人権」を胡散臭くさせたのも人を大切にしようとした日本文化を否定し続ける連中(右翼・左翼問わず)の傲慢で自己中心的な「人権」の行使のせいなのだろう。
これからの世の中は、小泉前首相のような人を大切にしない「使い捨て」主義者ではなく、人を大切にし、長期的に支持されるような慈愛に満ちた政治家が出現することを願いたい。
ラベル:小泉純一郎
posted by 須藤雅史@多摩急行電鉄 at 11:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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