2005年05月09日

[コラム]交渉と勝敗

興味深い記事を見つけた

アイスピック氏のブログで興味深い記事を見つけた。明らかに私のこの記事を意識したものとしか言いようがないが。

勝つことに拘る

言論って勝たなきゃならない動機を持ってる人間が論を語るからこそ意味があるのであって、2ちゃんねらーのように言論のテクニック使ったり、弁護士の言うように法律を先行させて、話の勝敗を決めるのはナンセンスだし。かと言って最初から妥協点を探すのも変という気がする。
相変わらず、勝敗に拘るが、あえて勝敗に拘るのなら、相手を揺さぶり、そして、時には相手の挑発に乗った振りをして自分のペースで交渉するというのが、交渉の勝利であり、言論の勝利なのである。「交渉人 真下正義」の話になるが、真下は犯人と交渉を行っている。一見話の通じないような犯人ではあるが、真下はその挑発を逆手に取ったりして犯人を追い詰めていく。まさに、これこそ交渉である。
それに対し、アイスピック氏のように上から見下したような態度で自分の言い分だけを一方的に押し付けるのは、交渉ではないし言論ではない。そういう一方的な態度に反発を覚えるのは、人として極めて自然な感情である。それが分からない人は社会性がないとしか言いようがない。

自分の意見を通すために相手の意を汲む

向谷匡史氏の著書に「ヤクザの実践心理術」などがある。裏社会に生きる人間は日々是決戦の状態で、言葉の駆け引き(つまり交渉)一つ取ったって命懸けだ。当然、彼らは「勝つための言論」を行っている。勝つためには時として相手の言い分を認めることもある。そうすることによって、相手の譲歩を引き出し、自分の意見を通す機会を作っているのだ。当然、「言論のテクニック」などを使うことだってある。
頭の固いアイスピック氏ような人の場合、こういうテクニックがとても苦手だ。相手の言い分をねじ伏せることしか出来ない頑迷さでは、「言論での勝利」を得ることは到底難しい。そうなると結局、強引な手法に訴えるしか方法がなく、多方面に迷惑を掛けることになる。

人間誰しも「勝つための言論」をしている

「言論って勝たなきゃならない動機を持ってる人間が論を語るからこそ意味がある」とアイスピック氏は言っているが、人間誰しも、「勝たなきゃならない動機持って」、「論を語る」のである。会社の打ち合わせ一つ取っても、「勝たなきゃならない動機」が各々にあり、合意点を探るものである。「言論のテクニック」や「法律を先行させる」ことだってありうる。アイスピック氏のように自分勝手な意見をゴリ押しすることが、論を語ることではない。


posted by 須藤雅史@多摩急行電鉄 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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