2005年05月10日

[コラム]告発のリスク

とあるブログで

こういう記事が書かれている。何でも、自分の発言は「中傷誹謗」ではなく「公正な論評の法理」だという。
だが、この筆者は如何にも傲慢で他人を見下した態度であることが「公正な論評の法理」云々とは関係なく目に付く。自分の正当性ばかり主張し、悪いのは自分の反対者だという攻撃性を前面に出しては他人の反感を買う一方だ。

マスコミのJRバッシングと中国の反日運動の共通点

告発する側は感情的になっていることが少なくない。そのため、異常なまでに相手を扱き下ろす。
例えば、尼崎の事故以来、マスコミは執拗にJR西日本を叩いている。事故を起こす原因となる日勤教育だとか、ラッシュ時の停車時間15秒の「最速ダイヤ」などはJRに起因するが、事故当日のボーリングの件まで論うのは明らかに異常である。こういうのも「感情」が暴走した「告発」の悪しき事例だろう。こういうことをしている瞬間、マスコミは「自分酔い」している状態であることは間違いない。過熱化した中国の反日運動のように。

告発に訴訟は付き物

告発者は檄を飛ばすために、過激な表現を好んで用いるケースが少なくない。内容が否定的であるだけに、そうした過激な表現は読者の感情を煽り、絶大な効果が生まれると考えられるからだ。
しかし、告発は元々内容が否定的であるが故に、火に油を注ぐような表現は不必要な騒動を起こしかねない。ましてや、自己正当化ばかりする告発者はその人自身の発現の信頼性を大きく傷つけることになる。告発における自己正当化は自殺行為に等しい。
表現が「穏便」であっても、内容の詳細を巡って、被告発者との間の揉め事は絶対に避けられない。訴訟になることも日常茶飯事だ。そうしたリスクを理解せずに自分の意見をゴリ押しするのは第三者から見た告発者の評価を下げる要因となる。

告発は表現に気を配るもの

告発をする以上、被告発者と敵対することは避けられない。そのため、被告発者からの反発は頭に入れているはずである。しかし、告発の正当性を主張するのなら、被告発者ではなく、第三者から見た評価を考えに入れて行動するべきである。
「正論」を幾ら振りかざしても、敵ばかり増えるような告発者は第三者からの視点が完全に欠落している。この手の告発者は言葉を選ばない。感情が先行する余り攻撃的な態度となって、自分を批判する者全てを被告発者の回し者などと言い出すようになったら、もはや病気だと考えた方が良い。
言葉の表現の仕方によって、同じ内容でも素直に受け入れられることもあれば、反発されることもある。内容の正しさではなく、表現の正しさを以って人は人の発言の正当性をチェックするということを心掛けたい。


posted by 須藤雅史@多摩急行電鉄 at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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