民主主義国家の歴史を省みる
自由国家の時代
今の民主主義の体制は市民革命によって生まれたのだが、当初の民主主義は所謂自由国家或いは消極国家・夜警国家というもので、国民一人一人の実力だけで支えられた自由主義(というより実力主義)の世界であった。当然、斯様な実力主義の世界では必ず「勝ち組」と「負け組」に二分極化され、貧富の差が固定化され、「負け組」は永遠にそこから抜けることのできない世の中となってしまった。社会国家の時代
このような貧富の差(格差)を解消するべく、国家が国民経済に積極的に介入する政治形態が作られた。これを社会国家或いは積極国家・福祉国家というもので、実力ある国民が実力なき国民を政治を通じて救うというのが目的となる。つまり、国民一人一人が努力したらしただけの結果を得られるのではなく、その努力の結果を結果の出せなかった国民に対して再配分する役割を政治が担うという体制になったのである。これにより、政治の行政に対する役割は増大され、行政府の中心にいる官僚たちがその調整役として六面八臂の活躍をし、所謂「役人天国」が形成されるに至った。因みに、今はこの社会国家(福祉国家)の時代とされる。
小さな政府を作ろうとした小泉純一郎とIT世代
小泉前首相は郵政民営化を始め、本気で、「小さな政府」を実現しようとした。政治化の公約はあってないようなものといわれがちだが、この点、小泉前首相は公約の内容の是非はともかく、誠実に忠実に実行しようとしたことは評価に値する。しかし、その結果、格差の拡大が懸念視されるようになり、新たな社会不安を巻き起こしているが、それにもかかわらず、昨年9月11日の総選挙で自民党が圧倒的多数を獲得した。これには色々な要因が絡んでいるが、積極的理由の1つにIT業界人と小泉前首相の考え方が極めて類似しているということがある。
自覚と積極性なき者を亡き者にすることを躊躇わないIT業界人
別にホリエモンのような人に限らず、所謂IT業界人は積極国家を嫌う傾向がある。それは、IT業界の中でよく伸びる企業或いは業界人は自覚と積極性を兼ね備えた連中ばかりで、よく努力をする連中だからである。努力してもその取り分がそうでない連中に回ることに対して、彼らが面白いと感じる訳がない。そうなると、社会国家或いは福祉国家という一種結果平等を謳った今の国家体制を嫌うのは論を待たない。彼らは自分たちのように自覚と積極性なき者を亡き者にすることさえいとわない冷酷さを持っているのである。つまり、IT業界の中は弱肉強食であるばかりか、自覚と積極性のない人間に対して冷たい扱いをすることが正義であるとさえ信じて疑っていない。人を大切にしないIT業界人の考え方が他業界にも波及している
リストラ(リコンストラクション)の和訳は再構築であるが、現実は人材の切り捨てである。人件費カットの名目で、まるで次々と人を断頭台に送り込むように人材を切り捨てている。これはバブルの時期に調子に乗って、人材を過剰に採ったツケでもあるが、人材を採りながらも育てようとしなかった企業の責任回避とも言える。確かに、人材の教育はお金がかかるし、目先の生産性向上には繋がらない。よって、教育をしなければ育たないような人材(つまり、自覚と積極性のない人材)は欲しがらない。この辺の考えはIT業界ほど露骨であるが、今の不景気のせいで今やどこの業界も似たり寄ったりである。
夜警国家への回帰を願うIT業界人
社会国家においては富の再配分が正しいとされる。それは格差を固定化させず、いつでも敗者復活ができるように「負け組」に対して施しを与えようとするものであり、決して、貧乏人の「たかり行為」ではない。ところが、自覚と積極性を兼ね備えた努力家のIT業界人はそれを自分たちの富を簒奪する悪と決め付け、それを否定することに躍起になり、自覚と積極性を持たない人間をどんどん否定する。そこに一切の慈悲の感情はなく、自分の実力が即座に自分のリターンに反映されるような社会を望んでいる。これでは昔の夜警国家への回帰を望んでいるようなものである。そもそも、自覚と積極性を持たない人間とて、大切にされれば、やがて彼らもその恩義に応えようと、必死に働くようになる。寧ろ、元から自覚があって積極性のある人間は自我が強く、下っ端で働かせるには手に余る存在となるが、自覚と積極性を持たない人が働き出すと、非常に貴重な戦力になることを知るべきである。そうなれば、やがて彼らも自覚と積極性を持ち出すようになるだろう。



